2005年11月 3日 (木)
西脇 順三郎
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西洋文化をこよなく愛し、ふるさとを嫌悪した日々。
1894年小千谷に生まれ、1982年小千谷で永眠。その88年の生涯を、偉大な詩人として、また優れた英文学者として旺盛に生きた西脇順三郎。彼の精神の土壌になったものは、生を受け、生を閉じたふるさと、愛憎とともにさまざまな想いが駆け巡った「小千谷」だったのかもしれない。 順三郎は旧小千谷町の旧家で、裕福な家柄に生まれた。親族に当時地方では珍しかった海外生活経験者がおり、家には西洋の絵画集や英字新聞が日常的におかれていたという。そのような環境の中で、順三郎の西洋の文化芸術に対する関心や憧れは、次第にはぐくまれていったのだろう。 県立小千谷中学校(現小千谷高校)を卒業すると、画家を志して上京する。しかし、洋画壇に見込まれた才能をさらに磨こうとした矢先、父の死にあい、フランス留学の計画が挫折。画家への道を志し半ばにして断念することになる。芸術への探求心が詩作に向けられたのはこの時期であった。 その翌年、慶應義塾大学へ入学。英語による詩作を始めるとともに、ギリシャ、ラテン、ドイツなどの語学に励み、西欧諸国の文学に親しむようになる。専攻が経済学だったため、卒論のテーマは「純粋経済学」だったが、その全文をラテン語で書いたというから相当なものだ。とにかく、若き日の順三郎の西洋への傾倒ぶりは徹底していた。「日本的なものすべて」、とりわけ「ふるさと」を嫌悪し、「小千谷」という言葉を聞くことすらいとったという。 |
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東洋回帰。そして小千谷を終焉の地に選んだ理由。
大学卒業後、病気療養のため一時小千谷へ帰った順三郎は、1919年再び上京。慶應義塾大学予科教員となった年に、日本の詩の流れを変えた萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の出版だ。ここで初めて使われた口語体自由詩という斬新なスタイルは、順三郎にそれまで顧みなかった日本語での詩作を決意させる。それは、のちの渡英体験や、帰国後、大学教授として関わった文学運動を経て、1933年処女詩集「ambarvalia(アムバルワリア)」に結実。文学史に燦然と輝くこのデビュー作で詩人としての不朽の地位は確立した。 だが、以後十余年、彼は詩作を離れて学術研究に没頭。その背景にあったのは、西洋的風潮を弾圧した、第二次世界大戦という状況と、順三郎が今までになく東洋的な美にひかれだし、より洗練された芸術世界を求めて模索を始めたためであった。 順三郎の心に再び新しい詩想が芽生えたのは、戦中の窮乏生活でのことである。家族とともに疎開した小千谷で、日本の古典を読みあさり、自ら雅号を付けて水墨画を描く日々。掌を返したようなこの東洋回帰から、第二詩集「旅人かへらず」が着想される。この作品の一貫したテーマは、東洋特有の神秘的な美の世界「幽玄」の、新しい視点による再創造だった。 前作とまったく異質な作風だったが、これも前作同様高い評価を受け、詩人第二のスタートといわれた。その時順三郎は53歳。みずみずしい想像力は以後も衰えず、大学教授のかたわら、次々と詩集、評論、訳詩などを発表し続ける。 また、このあと、順三郎はかつての反発を捨てて、折りあるごとに小千谷を訪れるようになっていた。少年の頃の思い出の地を歩いたり、独特の幻想的なタッチで風景画を描いたり、時には東京から文学仲間を案内し、山本山から見える信濃川の美しい蛇行を自慢したという。自らを「帰らぬ旅人」になぞらえた詩人は、どんな想いを重ねてふるさとの山河を見つめていたのか。妻を看取り、息子が海外へ旅立った後、順三郎が終焉の地として選んだのは小千谷だった。西洋から始まった順三郎の芸術は、日本の伝統を再発見し、最後にふるさとへと回帰したのである。
以上 小千谷市HPより
詩碑 西脇邸
少年の頃の思い出の地を歩いたり・・・故郷への回帰・・・その気持はよく判ります。 西脇 順三郎氏は母校(小千谷高校)の先輩になります。 小千谷市の市民の山・・・山本山の山頂には西脇 順三郎氏の詩碑「山あり河あり・・・」があります。 西脇邸は市の中心部にあり、昔は通りに面して雁木(がんぎ)がありました。
雁木・・・雪国で、通りに面した軒から庇(ひさし)を長く出して、その下を通路としたもの。 |
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コメント
むろぴいさんへ
おはようございます!
ふるさとへと回帰した心境は同じですね。
離れてみて良さが判るという事もありますね。
投稿: おーちゃん | 2005年11月 5日 (土) 07時41分
こんばんは!
西脇順三郎さんの記事、心に響くものがありました。
私の故郷の文豪 泉鏡花も、金沢の閉鎖的な風土を毛嫌いしていたようですが、絶筆の舞台が金沢になっているという点、小千谷に回帰された西脇順三郎さんと同じ心境だったのではと思うのでした・・・。
投稿: むろぴい | 2005年11月 5日 (土) 02時46分
金木犀さんへ
>今までの紆余曲折も道程と思えば・・・
たしかにそうです!
人生経験を積んでみなければ判らない事とかは確かにあります。
ただ歳をとったから・・・ではなく、いろんな経験や知識を持ったからこその「悟り」ではないでしょうか。
投稿: おーちゃん | 2005年11月 4日 (金) 21時36分
こんばんは。私もこはるさんと同様、日本文化の素晴らしさをここにきて再度発見しています。今までの紆余曲折も道程と思えばたしかに大切な時間だったのだとも思います。
投稿: 金木犀 | 2005年11月 4日 (金) 02時28分
こはるさんへ
西洋から始まった順三郎の芸術は、日本の伝統を再発見し、最後にふるさとへと回帰したのである。
こはるさんも同様に、日本的なものとふるさとへの回帰を行ったように思いますね。^^
投稿: おーちゃん | 2005年11月 3日 (木) 16時12分
こんにちは。
西脇順三郎って小千谷なんですね。
国文学専攻だったのに、恥ずかしながら触れたこともありませんでしたが、その人生に大変興味を覚えました。
私自身、専攻していながら日本の伝統的なものより、ヨーロッパ、世界史に興味がありました。しかも日本の美術ってつまらないものだと思っていましたし、ふるさとにも魅力を感じませんでしたから。
投稿: こはる | 2005年11月 3日 (木) 11時28分