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2005年8月の記事

2005年8月30日 (火)

信濃川

22 photo/信濃川河川事務所HPより 「高梨町付近の信濃川と妙見堰」

秩父山地の甲武信ヶ岳を源流とする「千曲川」は、佐久盆地・上田盆地を流れ長野盆地で松本盆地よりの「犀川」と合流し、新潟県に入ると「信濃川」と呼び方が変わる。源流から県境まで214kmで途中で流入している主な川は、湯川・依田川・神川・犀川・夜間瀬川である。中でも大きな支流である犀川は、松本盆地で奈良井川と梓川が合流し犀川となり途中で高瀬川・裾花川などが流入している。やはり大きな川のある所は土地が肥沃であり、佐久平・塩田平・善光寺平・松本平などと呼ばれている。

新潟県に入ると中津川・清津川などが流入し小千谷市の隣の川口町で魚沼地方からの「魚野川」と合流し、大河「信濃川」として越後平野を潤しながら日本海へと流れて行く。
「魚野川」は上越国境(群馬・新潟の県境であるが国境が相応しい)の谷川岳を源流とし、大源太川・三国川・水無川・佐梨川・破間川などを支流として魚沼の地を潤して信濃川へ合流している。豊富で綺麗な水は「魚沼産こしひかり」などの米や「鮎」などの魚を育んでいる。「堀之内」と「川口」には簗場があり、シーズンには鮎の掴み取りや鮎料理が味わえる。

小千谷市の中心を流れる信濃川は、長岡市に入り途中で太田川・渋海川・黒川が流入しやがて「大河津分水」に達する。ここから新潟市へ向かう本流と直に日本海へ向かう分水(新信濃川・10km)とに分かれる。県境から分水までは95kmである、本流は分水から日本海まであと58kmである。本流には、刈谷田川・五十嵐川・加茂川などが流入しているが中ノ口川は本流から分離した後にまた合流している。新潟市の日本海手前に関屋分水が有り、本流の一部が日本海へと流れ込んでいる。本流が日本海に流れ込む所には新潟港があり、源流からの総延長は367kmである。

お奨めのHPは、信濃川河川事務所ホームページです、信濃川・魚野川に関する情報(防災・施設)が盛りだくさんです。中でも一番のオススメは、「空から見た信濃川・魚野川」です。綺麗な川の流れと緑豊かな田園風景が楽しめます。
トップの写真は妙見堰と五辺沼です。「越の大橋」のたもとには「峠の碑」が有ります。堰ができる前は、この沼の所が本流でした。小学校にプールが出来る前は川で泳いでいました。(今考えるとチョッと怖い) 昔は大雨の後に信州からリンゴがたくさん流れてきました、そして川が溢れて河川敷の畑が流されて作物が全滅したことも何度かありました。現在は治水ができておりますので、この地区では洪水の心配はありません。

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2005年8月29日 (月)

秋近し!

この中で虫が鳴いています。今朝は涼しく感じる!200508290622.jpg

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2005年8月28日 (日)

多満自慢

今宵の一杯は、東京都福生市「石川酒造」の「多満自慢」 生貯蔵酒です。ずーっと昔ここのお嬢さんと一緒に仕事してました。綺麗な先輩でした!200508281449.jpg

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秩父への小旅行

03 photo/arakawamura kannkou kyoukai hp

最初に秩父に行ったのは、原宿の独身寮にいた頃で池袋から西武の特急で長瀞方面に日帰りのお花見でした
2回目以降は、長野県から埼玉県に転勤となり某市に住むようになってから何回も行きました。家族で日帰りのドライブに丁度良い距離です。

1月~2月は初詣とスケートといちご狩りと花見(?)です。三峯神社でお参り・ミューズパークでスケート・日野か芦ヶ久保の観光農園でのいちご狩り・宝登山の梅とロウバイ・・・などを組み合わせてよく行きました。(注意:現在ミューズパークはスケートが廃止になっています、芦ヶ久保にも以前有りましたがみんな無くなりました)
桜の頃は長瀞か荒川村あたりに行きます、そして忘れてならないのは温泉です。(温泉は一年中ですが!) 日帰りに丁度良いのが、武甲温泉大滝温泉です。どちらも私の移動コースにあるからで、他にもたくさん良い日帰り施設が有ります。
夏はたまにですがミューズパークのプールに行きました。秋は紅葉を求めてドライブに温泉を絡めて行きました。冬(11月~12月)はあまり行ってませんが夜祭は観たいですねー!

今までは子供中心の小旅行でしたが、現在は遊んでくれませんので(?)これからは自分の趣味で遊びに行こうかと目論んでいます。
ドライブ・無線・温泉・自然と花の写真・蕎麦(食べるのも花も)・地酒・・・秩父にはやりたい事がいっぱい有ります・・・老後の楽しみか???

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2005年8月27日 (土)

りんご?

近所の庭先で見かけました。去年あったかな? 梨か?こんど良く見ます!200508270933.jpg

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新潟県立 小千谷高等学校

我が母校の最近の写真です!
  08144934 と言っても校門からですが!

卒業してからもう○○年経ちますが、卒業後初めて行ってみました。在学時は、木造の由緒ある(骨董ものの)校舎でしたが現在は鉄筋コンクリート造りに変わっており、昔の面影はありませんでした。(在学時はこんなボロ校舎と思っていたのに・・・なぜか寂しい・・・?)とても歴史のある学校だったので、映画のロケに使われました。由美かおるの「しなの川」だと思いますが、生の「由美 かおる」を見たし映画の撮影風景も見れてとても面白かったと記憶しています。(当時は<今でも>若くて綺麗でした!)

不思議ー1 県立高校なのに、プールがありませんでした。(今は知りません!)隣の小学校には有ったのになぜ? だから体育に水泳の授業なし!
不思議ー2 男女共学なのに8クラスの内4クラスしか女子がいなかった!(まさに驚愕!)当時は女子が少なかったから、仕方が無いが・・・何故?・ナゼ?・なぜ?ーーー3年間も俺は男だけのクラスなんだーーーーーーーーー! だから、小千谷西高(当時は女子高)に目が向くんだよ! (今は半々だそうです・・・よかったね!) 特に、クラス対抗の球技大会などはムキになってやってました!(黄色い声援がなかった
不思議ー3~いろいろ有りました! (省略) 

部活はバレーボールをやりました。おかげで身長が3年間で18cm伸びました!でもきつかったです、補欠ですが! 監督は偶然にも1年の担任で佐藤先生でした。いわくのある名前ですがここでは紹介を省きます(個人情報?)。・・・余計気になるよね!隣町からスズキのジムニー(幌つき)で通っていました。
2年の終わりくらいから体調を崩して部活がおろそかになりましたが・・・先生、この場を借りて言い訳をしますが、実は自然気胸だったんです。当時は病院に行っても特に異常なしと言われて、まるでサボっているように思われたかもしれませんが・・・社会人になってから同じ症状になり病院に行ってやっと判明しました。バレーボールもっとやりたかったです!
でも3年の時、人数は少ないながらも女子バレー部を作り、1年女子をほんのチョッと指導できたのが良い思い出です。学校の歴史に載るかもしれない女子バレー部の創部に関わった者として母校を応援しています。

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2005年8月26日 (金)

台風 千葉へ上陸

大海原を泳ぎ疲れて陸で一休みしたかったんです! (11号の談?)

無事出勤できました。
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2005年8月25日 (木)

ポスト?

懐かしい・・・けど、本物ではありません。駅前のお好み焼き屋のディスプレイです。200508250631.jpg

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2005年8月24日 (水)

どこいくの?

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20日(土)に 浮かんでいた雲! ポケモンみたいに見えて・・・ずーっと見てました。
気持ち良さそうに北東の方へゆーっくりと浮かんで流れて行きます。

ふと、北北東と東北東の違いを考えたりしながら・・・・・・・・・・・・・・・
乗ってみたい・・・と童心に返って思いました。

          

                           

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2005年8月23日 (火)

北海道の想いで

北海道には3回行きました。1回目は友達と4人で、2回目は一人旅、3回目は夫婦で!  なぜそんなにと思うかもしれませんが、新潟育ちで北海道の冬に興味があった事と、渡辺 淳一の「流氷への旅」という小説を読んで網走・紋別へ流氷を見に行きたくなったからです。でも、まだ流氷を見ていませんので数年以内に行きたいと思っています。

渡辺 淳一の小説は20代の頃からよく読みました。やはり北海道・札幌などが舞台となるものが多く、「リラ冷えの街」・「北都物語」・「阿寒に果つ」・・・なども読みました。

「流氷への旅」(上)http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000139688/
「流氷への旅」(下)http://books.rakuten.co.jp/RBOOKS/0000139687/

1回目の旅は、20代前半で「旭川」出身の会社の後輩がお祭に帰るのに便乗して、仲間3人で実家に押しかけました。「旭川雪まつり」を見学し、たっぷりご馳走になりました。さすがに氷点下は寒かった。2泊3日で旭川・札幌でした。

2回目の旅は、翌年の2月下旬で一人旅でした。札幌雪祭りと流氷まつりの時に休暇が取れず残念でしたが、当時凝っていた一眼レフカメラ(オリンパスOM2)を持って写真を撮りに行きました。札幌のホテルを拠点に市内の観光名所と小樽の運河などをいっぱい撮りました。居酒屋のほっけがとても大きかったのを覚えています。札幌ラーメンも食べ歩き、やはり2泊3日でした。

3回目の旅は、結婚した翌年の6月にほぼ北海道一周のバスツアーに参加しました。温泉地を中心にのんびりと(中・高齢者が多かった)函館・湯の川温泉・登別・阿寒湖・摩周湖・知床・層雲峡・旭川・札幌などを廻る5泊6日の旅でした。毛蟹が美味かった、旭川~札幌のながーい直線道路(30k?)とジャガイモ畑に広い大地を感じました。

以上のようにまだ初期の目標を達成してませんので頑張ります!一人でも・・・行くぞー!

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2005年8月22日 (月)

ちょっと寄り道!

久々にいつもの店で!田舎に帰ってきたよ・・・で話しが盛り上がる。200508221810.jpg

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2005年8月21日 (日)

「直江 兼続」

「直江 兼続」は上杉家の名宰相です。藩主は二代目「上杉 景勝」で、春日山から会津若松へそして米沢へと移封となる中、藩主を助け執政として藩政を取仕切りました。そして米沢藩と町の基礎作りを行いました。 米沢・上杉・・・繋がりになりますが、時代は「上杉 鷹山」の170~200年位前の「関ヶ原の戦い」の前後になります。

越後国魚沼郡上田庄坂戸城に生まれた「樋口 兼続(幼名・与六)」はやがて景勝の近習となり謙信の教えをうける、景勝が二代目藩主となった後に名門「直江家」へ婿入りし与板城主「直江 兼続」となりました。この時から執政となり、藩政を取仕切るようになります。

「豊臣 秀吉」の命により、越後・上杉藩は会津120万石へ移封となり、兼続にも米沢30万石が与えられました。景勝と秀吉の和解に尽力したことなどから秀吉の信任を得た結果です。会津藩内の整備や築城を家康への謀叛と密告され、その際に申し開きを行ったのが「直江状」であり家康に対し堂々と反論したものです。それに激怒した家康は上杉討伐の出陣命令を出し会津へと向かいますが、石田三成の挙兵により上方へ引き返しやがて「関ヶ原の戦い」で勝利します。やがて景勝は石田方に加担したため30万石に減封され米沢に移り米沢藩主となります。

家臣の人数はそのままに120万石から30万石に減封となったため、藩財政は困窮を極め、兼続は倹約を旨とし新田開発や商工業振興などの殖産興業に力を入れるとともに城下町の整備も進めました。その結果、米沢は豊かな国となりました。後年に「上杉 鷹山」は藩財政再建に「直江 兼続」の手法を参考にしたとのことです。

「直江 兼続」はこうして上杉家の存続と米沢藩の基礎作りに尽力しましたが、1619年に60歳で生涯を閉じました。まさしく上杉家の名宰相と言えます。

この小説は上杉家を中心に書かれていますが、「関ヶ原の戦い」前後の時代背景もよく分かりますのでお奨めの一冊です。 「COCOLOG-BOOKS」でどうぞ!

(余談) 私は「直江 兼続」と聞いて「直江津」を連想しました、やはり「直江 兼続」が港を開いたので「直江津」となったと云われています。そして「津」は古くより「港」を意味するとのことです。 直江津・新津・両津・・・・・など!

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なじらね?

09145801 なじらね・・・って何がと最初思いましたが・・・目に付きます!

長岡ICを降り、小千谷方面に進むとあるガソリンスタンドの看板です。            そのスタンドは右側に有ります。
言葉に釣られて、つい入りたくなる・・・小千谷人です!

「なじらね」・・・どうですか?とかいかがですか?などの意味ですが、日常の挨拶代わりに使う事もあります。(最近なじらね・・・上品に言えば、最近はいかがお過ごしでしたか・・・みたいな感じかな)

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2005年8月20日 (土)

「上杉 鷹山」

上杉・・・は新潟県人にとってとても愛着のある名ではないかと思います。
越後・春日山の上杉藩は「上杉 謙信」を藩祖とし、二代藩主「上杉 景勝」の時会津120万石に移封となり、関ヶ原の合戦の後今度は米沢30万石に移封され米沢城主となりました。その後禄高は15万石に半減させられ、藩財政は逼迫しました。

そんな厳しい状況の中、九代藩主となったのが「上杉 治憲」(隠居して鷹山)で米沢藩中興の祖と云われています。 「上杉 治憲」は九州高鍋藩から上杉家の跡継ぎとして養子に迎えられ17歳で藩主となりましたが、逼迫した藩財政を立て直し民政を安定させることが急務となっていました。

大倹約令を断行し藩主自ら質素倹約に努め新領主への反感や老臣たちの抵抗を克服し、農村の復興や「米沢織」などの産業の開発を行い、民政の安定と経済の復興を図りました。
「なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。」・・・鷹山の和歌です!

私は米沢にはいろんな愛着があります。甥が米沢の大学にいた時、遊びに行きたかったのですが都合がつきませんでした。今度、会津経由で米沢へ行ってみたいと思っています。
バブル後いわゆる「鷹山ブーム」がありましたが、そんな経営改革とかは別にして、一般人にも参考になる小説だとおもいます。
興味のある方は「COCOLOG-BOOKS」で!

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2005年8月18日 (木)

有難うございました!

先日、長岡市観光課に電話で依頼した「戊辰・河井継之助ゆかりの地ガイドブック」が届きました。嬉しい!
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2005年8月17日 (水)

抱き合わせ?

「八海山」と書かれていた新潟県内の通りすがりのある酒屋さんで、「八海山」を買おうとしたら単品では売っておらず他の酒と紐で縛った状態の「セット」を買って下さい・・・と言われた。2本はいらないので「八海山」だけ下さいとお願いしたがダメであった。

「セット」と言えば聞こえはいいが、要は売れる酒に売れない酒をくっつけた抱き合わせ販売ではないか!? しかも・・・何という事だ! 私の好きな「初梅」を一緒にしているではないか。 「この辺では初梅は無名かも知れないが、小千谷じゃー有名なんだぞー!」と言ってやりたかった。・・・で、どうしたかと言うと・・・値段は特別高くもなく2本とも好きな酒だったので・・・買ってしまいました。 (まんまとハマッタ?単なる酒好き?)

でも何か納得が行かない・・・本来、顧客の買いたい物を快く売り、ついでながら地酒でこの様な美味い酒がありますが如何でしょうか・・・と勧める(セールスする)のが(良心的な)商売ではないのか!?・・・・・甘いかな、いかがなものか?

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2005年8月16日 (火)

「峠」

著者 司馬 遼太郎氏のこの小説は、越後の蒼龍「河井 継之助」率いる「越後 長岡藩」が北越(戊辰)戦争に至った経緯と激しい戦闘の模様および敗戦から「河井 継之助」の死に至るまで記されている。

私が最初に読んだのは二十歳を過てからであったと思う。当時の上司に「君は小千谷の出身だよね。あの河井継之助の長岡の近くだよね・・・」と言われてであった。もちろん名前とかは知っていたが細かい所までは詳しく知らなかったので、郷土の歴史を勉強するような気持ちで読み始めました。
当時の感想は、地元へのひいきからか北越から会津へそして米沢へと拡大する戊辰戦争に対し、なぜ戦いしか手段がなかったのか・・・と言う憤りであった。「小千谷談判」が成功し話し合いによる解決(和解)ができたら維新の流れも変わり、犠牲も少なくできたと思う。

二回目に読んだのは、四十歳を過ぎてからである。「河井 継之助」の武士道精神、負けると分かっていても正義を通す生きざまに感心した。「米百俵の小林 虎三郎」と比較されがちであるが私はどちらも立派だと思っている。

小説には、小千谷と長岡の知っている地名がたくさんでている。(当然か?)小千谷談判が行われた「会見の間」がある小千谷船岡山の「慈眼寺」・激戦の地「榎峠」と「朝日山」の古戦場・信濃川対岸の三仏生・長岡の摂田屋と四ツ屋町・・・などである。「峠」の記念碑も小千谷にあります。

ファンサイトなどで、「峠」はどこの峠か・・・と言う書き込みなどがあります。著者の意図する所は「榎峠」と思っていますが、「小千谷談判」こそが河井継之助および長岡藩の運命の「峠」であったと思います。
奇遇な事に、戊辰戦争が終結する米沢藩との最後の戦いの地は、米沢街道にある「榎峠」です。

興味を持たれた方は左の「COCOLOGーBOOKS」でどうぞ!http://nifty.bk1.co.jp/product/2377682/nifcc42e33d9d01e5c80
http://nifty.bk1.co.jp/product/2377680/nifcc42e33d9d01e5c80
http://nifty.bk1.co.jp/product/2377681/nifcc42e33d9d01e5c80

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2005年8月15日 (月)

一休み

今日から仕事!会社の手前で道草・・・暑い!
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2005年8月14日 (日)

小千谷から真田町へ (帰省ー9)

8月10日(水)小千谷からの帰り、今日中に帰ればいい気楽な旅だったので少し(?)遠回りですが長野の妻の実家へ立ち寄り(亡)義父の墓参りをすることにしました。
実家は、数年前に上田の市街地から隣の真田町の少し山あいに転居したため、そちらに伺いました。義母および義兄夫婦とお茶を飲みながら、仕事のこと・子供たちのことなどの近況を話し楽しく過ごしました。今日は上田の花火大会もあるし泊まっていけばと勧められましたが・・・今回は所用もあり辞退致しました。来年3月にここも市町村合併になり、また上田市民に戻ってしまう・・・と義兄が笑っていました。
上田市・小県郡真田町・同 丸子町・同 武石村が新上田市となります。青木村と東部町はなぜ一緒にならないんだろうか・・・? (小県郡・・・ちいさがたぐんと読みます)10093015 10095152 10100615
(小千谷・柏崎手前・米山SAより)
10102818 10104106 (米山過ぎ・上越手前)
10日(水)は朝から大雨でしたが関越道から長岡JCTで北陸道へ、米山が見えるあたりから天気が快復し上越ではすっかりいい天気になりました。
10111053 10111112 10111000 10111316
上越JCTから上信越道へ、妙高SAからの妙高山と黒姫山の眺めはとても良かった。紅葉シーズンが楽しみだ!
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さらに南下し長野市を過ぎ上田・菅平ICで降り真田町へ。前を東京の見覚えのある観光バスが2台走っている、きっと菅平への合宿組だなー・・・と勝手に思う!
実家に向かう途中の、のーんびりと感じる風景と裏から見た上田市民の山「太郎山」そして帰りの高速から撮った「浅間山」・・・下りだと正面に綺麗に撮れるんですが!
林檎と葡萄と松茸の頃にまた行くかな!?温泉も有るし・ 信州の別荘(?)も有るし!

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2005年8月13日 (土)

故郷の花と野菜 (帰省ー8)

畑と家の周りで撮りました。野菜たちは、これから大きくなるところです。
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ピーマン       ナス        キューリ    

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トウモロコシ    エダマメ

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一番最後は花ではありませんが何だかお解かりでしょうか?・・・ウコンです!       兄がビニールハウスで自家用に作っています。私の生ウコンの仕入れ元はここです。

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八海山 (帰省ー7)

新潟の「八海山」と言えば、お酒好きは地酒を自然やスキーが好きな人はを思い浮かべるでしょうが、私はもう一つあります。それは、高校の同級生の「八海くん」です。出身も六日町近辺だと思いますが卒業後は会っていません。渋谷あたりに勤めていると以前聞きました。
帰省途中に六日町インターで降り、大好きな方には寄らず山へ向かいました。まず「八海山神社」へお参りしお守りを買いました。チャントお賽銭箱に代金をいれましたよ!
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次に、スキー場のベースキャンプへ。ロープウエー乗り場まで行きましたが天候と時間の関係で山頂駅(4合目)へは上がりませんでした。お花がきれいに咲いていました。 08124036 08124111 08124513 08124619

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2005年8月12日 (金)

蒲原平野 (帰省ー6)

岩室・弥彦・分水から田圃と弥彦山・角田山を撮りました。時間を変えて夕焼けの頃も撮ったら良かったでしょうね。09125623 09130244 09130253 09130321 09130334 09131925 09135849

気持ちいーと叫んでしまう雄大な眺め!

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弥彦山 (帰省ー5)

弥彦山(634m)からの眺め、暑すぎて靄がかかり佐渡島は残念ながら見えず。
9日(火)に野積から弥彦山スカイラインを上り岩室に下りました。
山頂の尾根づたいを歩き、弥彦神社・奥宮まで行きました。その展望台から寺泊・大河津分水・野積海岸・弥彦村~蒲原平野がよく観えました。
NHK他の電波塔はデジタル化の工事中でした。登山で上がってきた小父さんと挨拶したりすれ違いの親子と話したりと、のーんびりとした時間でした。とても暑くて売店の地ビールが美味そうでしたが車のため我慢・ガマン!

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2005年8月11日 (木)

お土産 (帰省ー4)

中・下越をドライブして実家へ持っていったお土産!

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八海山ロープウエー売店

新潟限定に釣られて

P1000246 日本海夕陽ブルワリー

サンセットラガーとコシヒカリラガー

 
道の駅「良寛の里わしま」のもてなし家売店で勧められた和島村産の朝取りの桃・・・甘くてウマイP1000245

お土産と言いながら・・・私もいただきました!

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くじら汁 (帰省ー3)

珍しいくじら肉(脂身)を頂いたから・・・と言って、義姉がくじら汁を作ってくれた。

P1000146 小さい頃は、たいして美味いとも思わなかったが歳をとると(懐かしさから?)美味いと思うから不思議だ!手前の真ん中がくじら汁で、白く浮いているのが脂身、真ん中に見えるのが「ゆーごー」・・・ゆうがおである。あと入っているのはなすじゃがいもである。

他に写っているのは、きゅうりの溜り漬・なすの煮つけ・きゅうり漬・野沢菜漬・お刺身・なす漬・豚肉のでんぶ(台湾のお土産)である。写真に納まらなかったのも多数あり、昔からなじみのある物ばかりである。

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デザートは、自家製のスイカとメロン(品種名・・・深緑)をたらふく・・・贅沢だー!

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2005年8月10日 (水)

須坂屋と小粟田原 (帰省ー2)

へぎそばを2ヵ所で食べてきました。
その前に須坂屋さんがある「小粟田原」・・・こーだっぱら の写真から!

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中越地震でもビクともしなかった農道と田圃。飛行場が有ったのも頷ける広さと山の眺め。(金倉山と山本山) 稲も順調!
では、貴重な須坂屋さんの写真・・・外観・店内・手ぶりそば(10ヶ盛800円)です。平日の午後4時という変な時間に行ってしまい、お客は私だけでしたが「おつけもの」をサービスしてくれました。きゅうり・なす・糸うり・・・でした。そばはいつもどうり美味しかった!

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もう一軒は、道の駅「ちぢみの里おぢや」の岩藤屋さんです。もりそば(7ヶ盛600円)をいただきましたが写真はぶれて・・・失敗!

P1000112 ちぢみの里おぢや



そして、営業時間外(2時を過ぎたため)で食べれなかった「雪蔵の里」さんの雪蔵の写真です!

P1000123 ここで蕎麦を通年保存して旨みが増すようにしている・・・とのこと!
なるほど、雪中貯蔵酒と一緒か!雪国の知恵だね(克雪)。

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寺泊 (帰省ー1)

「臨海学校」のお寺さん・・・と思われる寺へ行ってきました。

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本堂・石段・境内からの眺め・・・記憶に合っているかも!?

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2005年8月 8日 (月)

信州・上田の想いで

昭和60年1月の一番「凍みる」時期に、長野県上田市にある我社の支店に転勤となり、吉祥寺から転居しました。新潟とは違う種類の寒さに震えてしまいました。上田市は、偶然にも妻の故郷で実家では遠く離れていた娘夫婦が来るということでとても喜んでくれました。

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信州・上田は真田氏で有名な所であり、観光名所もたくさんあります。

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櫓と桜

p_050413_2お堀と太郎山

仕事は、市内全域を外訪したり内勤で事務をしたりといろんな事をせっせとやりました。でも、仕事(残業も多かった)が終わると先輩や同僚と焼き鳥屋を皮切りに2~3軒をはしごで飲み歩きました。(連れていかれた方です!?)平成元年には長男が生まれ、妻の両親は初孫だと喜んでくれました。そして、平成2年には長野市へ転勤となり、当時の信越線で上田から長野へ通勤しました。

当時の長野市は、長野冬季オリンピックの前で、会場やホテルの建設ラッシュでした。仕事も少しオリンピックに関係するものがありました。プライベートでは善光寺をはじめ戸隠・志賀などを廻りました。残念ながらオリンピック開幕前に今度は埼玉県に転勤となったため直に観戦することはできませんでした。

9年近く信州におりましたので、上田市内・県内各地のほかに愛知・岐阜・福井・石川などに遊びに(たまに両親を連れて)行きました。上高地・高山・木曽・能登・・・など!

上田は四季折々に見所や花・果物などがあり、信州の鎌倉別所温泉には寺社や古塔などの史跡の他に、手軽に入れる外湯(150円)などが有ります。初詣は生島足島神社か北向観音で帰りに厄除け饅頭を買うのが習慣になり、子供と外湯めぐりもしました。春は花・夏は祭と花火・秋は果物(巨峰やふじりんご)と松茸・冬は温泉とスキー(菅平)・・・といっぱい楽しめます!

8月10日(水)は、千曲川河川敷で花火大会がありますよ!詳しい案内などはこちら

hanabi2 上田花火大会 photo/ueda-city homepage

温泉もあるし現役を引退したらこんな所で暮らしたいなーと思いました。

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2005年8月 7日 (日)

高梨小学校同級会

母校の高梨小学校は、今は有りません。私が中学生の時、三仏生小学校(さんぶしょうしょうがっこう)と統合し新しく校舎を作り「和泉小学校」となりました。(いずみしょうがっこう)

高梨小学校で我々のクラスは(・・・と言っても1クラスだけですが)男子16名・女子14名の計30名という少人数でした。私の長兄の頃(団塊の世代?)は3クラス有ったようです。二つの集落から集まった30名で、小学校と中学校(2年まで1クラス)の9年間をほとんど幼なじみ状態で過ごしました。当然、クラス替えは無く席替えしかできません!中には、保育所から高校までの14年間一緒という者もいました。そのため、お互いを名字ではなく名前で呼ぶのが当たり前でした(同じ名字が多かったのも原因か?)、またそれぞれの家や家族の事そして親戚関係までみんな知っていました。(昔の田舎はみんなそうでしたよね!)

校舎は、高梨と五辺の中間に有り、片貝中学校・高梨分校と廊下で繋がっていました。そうなんです、小学校と中学校が同じ敷地に有り、グラウンドや体育館などを共用していました。(小中一貫教育のさきがけ・・・ではなく、過疎だったのです!)だから両方の先生達ともみんな知り合い状態で・・・実質一つの学校みたいでした。我家も兄(姉)弟4人で同じ所に通っていました。

なぜ片貝中学校の分校かと言うと、今は小千谷市高梨町ですが昔々は三島郡片貝村大字高梨と言う所だったためです。我々が中3になる年度に高梨分校は本校の片貝中学校ではなく隣町の「千田中学校」へ統合となりました。そこで初めて○年○組を経験しました。高梨小学校が先に隣の学校と統合した事・通学の距離・交通の便(特に雪の季節)で決まったと思います。そのため我々30名は「高梨分校同級会」と称することもあります。

最近では、幼なじみたち地元・市内・県内・県外と離れ離れになっており、たまに帰っても会う機会も無くなっていました。そこで、平成13年に有志の呼びかけで30年ぶりに同級会をしようとなり、湯沢で開催しました。多少見かけの変わった者もいましたがやはり面影がありお喋りに花がさきました。そこで同級会を今後も1年おきに開催することに決定しました。平成15年は群馬の上牧温泉で開催し、翌日は吹割の滝まで足を伸ばしました。

そして今年、平成17年の秋も開催の予定でしたが、昨年の中越地震の被災者もおり今は開催不可能と判断し皆に開催中止と来年秋の開催を約束する旨のはがきを送りました。たまたま私が今年度の幹事だったからです。ちなみに、私の携帯には全員の電話番号やアドレスが入っております。みんなの情報を集約するために「はがき」には、いつでも電話してきてと書いておきました。

みんないろいろあって大変だけど頑張って、来年は笑顔で会おうね!

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2005年8月 6日 (土)

あんさーとおじ

私の田舎だけかも知れませんが、男兄弟をこんなふうに呼んでいました。

あんさー」は兄さん(あにさん)がくずれた言い方だと思うんですが、成人男子一般をさすとともに長男をさします。

おじ」・・・田舎の甥(次男)はこの呼ばれ方が嫌で「おじ・おじと言うな!」と怒っています。発音は「おじさん」のおじとは違って「お」を強く発音します。これは、長男以外の弟すべてをさします

では次男・三男・四男・・・はどー言うの?と当然おもいますよね!

例えば男三人兄弟だとすると、長男・・・あんさー、次男・・・上のおじ(もしくは二番目のおじ)、三男・・・下のおじ(もしくは三番目のおじ)などと呼びます。

○○んとこのあんさーははたらきもんだがしたのおじゃ-あそんでば-かりいてだめだこって-!・・・・みたいに使います。 (私も三男ですが・・・私のことではありません)

しかし考えてみると、その家の家族構成を知っていなければこんな言い方はできませんよねーーー! 恐るべし田舎のご近所づきあい!?

では、姉妹はそんな言い方あったかなー?

あねさー」と「おば」だったような・・・確かな記憶がありません。

ひょっとして「おじさん」・「おばさん」と関係あるのかー?

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2005年8月 5日 (金)

沖縄の想いで

朝の日本テレビで沖縄の紹介を行っており「沖縄へ行こうー!」と言うメロディーがやけに耳に残りました。そうだよ、俺も前に行ったんだよなー・・・と想いだしました。

200207_1_800 photo/churashima.net

沖縄の美しい写真がいっぱい! オススメHPです。

2回行っておりました。1回目は、会社の独身寮の仲間3人と沖縄・久米島ツアーに参加しました。ところが、8月の台風シーズン真っ最中で那覇空港到着の一日目から台風に遭遇!(行いが悪かった奴は誰だー!)目的地の久米島へ渡れず本島に足止めをくらい、急遽那覇のホテルに宿泊となり市内観光で終わりました。

二日目は朝から暴風雨で「何でこーなるの!!!」でしたが、せっかく来たんだから観光しようと言うことになり、レンタカーを借りて「ソーキそばの店」などで寄り道しながら本部の海洋博記念公園まで行きました。途中にビーチはたくさん有りましたが、雨は降ったりやんだりで、泳げる状況ではありませんでした。

photo13 晴れていればこんなふうに最高だったのにーーー!!!

photo/churashima.net

帰りは東側を廻り糸満でひめゆりの塔を観て那覇に戻りました。

三日目にやっと台風一過の晴天になりましたが、チットモ嬉しくありません!なんと・・・帰る日なんです。ツアーの皆で「何しに来たかわからんねー!」などと話していたら、さすがにこのまま帰したら二度と来て貰えないと思ったのか(?)旅行社の人が「2時間でよろしければ近くのビーチで泳げるようバスを手配します」と言い出して・・・皆で遊びに行ったのは言うまでもありません。足掛け三日で二時間の「憧れの沖縄の海」でした。

でも、青い空青い海白い砂浜に感激でした・・・また来たいと思った!(罠にハマッタ?)

P1000041

2回目は、結婚して半年後の10月(当然台風を避ける為です!)に夫婦で行きました。

ムーンビーチのホテル滞在型のツアーでした。写真はその時買ったキーホルダーです。22年前の思い出が机の中に眠っていました。あの頃は良かったなー・・・と何故か懐かしむ!?

空港からバスで各ホテルに送ってくれる予定でしたが、ツアー参加者が少なかったため、タクシーに変更となり長野県から来た若い女性2人と一緒になりました。そこで商売上手と言うか・・・運転手さんが、「よろしければ観光なさいませんか、○千円でいろんな所をご案内します」・・・と言うような内容の話(島の言葉まじりで)をしてきましたので、2人の女性と相談の結果お願いすることとなりました。さすが慣れていらっしゃると言うか・・・しっかり、ブルーシールアイスクリームのお店に寄り美味しいアイスを楽しんだ後は東南植物園でのんびり遊ばせてもらいました。もう一カ所寄ったと思いますが忘れてしまいました。

我々はムーンビーチで降り、2人の女性は万座へ行ったと思います。同じツアーなので帰る日に再会し、焼けましたねーなどと盛り上がりました。二日目は一日中海!でした。三日目の午後に那覇のホテルへ移動し夕食は「ステーキハウス」でジャンボな肉に満腹しました。なんと那覇のホテルでハネムーンの新婚さんに間違われて・・・フルーツの山盛りなどが出てきて、新婚じゃありませんよ・・・と言ったのですが・・・でも新婚さんでいいじゃありませんかと変に押し切られ、サービスを受けてしまいました!得した!?

最終日は市内観光のあと帰途につきました。一回目の時と大違いで楽しかった!!

今度は、娘と(もちろん自分の)行きたいなー! イヤダ・・・と言われる、きっと!

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2005年8月 4日 (木)

臨海学校

もう30年以上も昔の小学生の時、「小千谷」からまだ冷房も無い貸切バスで2時間位かけて「寺泊」に臨海学校で行きました。当時は、夏休みに行った海は「鯨波」だけだったので、寺泊中央海水浴場の広い砂浜と遠浅の海は新鮮な驚きでした。同級生たちと泳いだり遊んだりして楽しく過ごしたことを覚えています。

宿泊先は、寺泊港の近くの高台にあった「お寺」だったと記憶していますが、何と言うお寺かは忘れてしまいました。そして境内から初めて「海に沈んでゆく太陽(夕陽)」を眺め、その美しさにとても感激しました。今で言う日本海夕日ラインの眺めですね!

何故そんなに感激したかと言うと、越後平野の田圃に囲まれて育ち山(・・・と言うより丘陵か?)に消えてゆく夕日しか見たことが無かったからです。

記憶にある当時の寺泊は、現在のような魚市場通りの賑わいもなく海水浴シーズン以外は静かな港町だったと思います。港は、漁港の雰囲気と佐渡汽船のフェリー乗り場(赤泊航路)の活気がありました。

昨日の記事「シーサイドライン」を書いていて、小学生の頃の懐かしい記憶が甦りました。

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2005年8月 3日 (水)

シーサイドライン

夏の新潟と言えば、である!日本海沿いのいたるところに海水浴場があり、海の家や民宿が充実している。昔から我家が行く所は「石地」の海水浴場で、海の家も同じ所を使っている。砂浜が広く遠浅で安心なので子供を連れて帰省した時もそこに泳ぎに行きました。「寺泊」の海水浴場も広く遠浅でいいですね、現在は鮮魚センターが有名ですので遊びと買い物が両方楽しめると思います。あと、子供向けには「寺泊水族館」がお奨めです!

もう一つの夏のお奨めは、海沿いのドライブです!柏崎から新潟に到る70~80Kmの日本海沿いの「北陸道」・・・柏崎~出雲崎はR.352・出雲崎~新潟はR.402を私は勝手に「日本海シーサイドライン」と呼んでいます。窓を開けて走っていると「海と夏」を感じて最高です!実際に、寺泊から先の巻町までは「越後七浦シーサイドライン」と命名されており景色もいいですが、カーブが多いので運転は慎重に!ちなみに、西山~寺泊は日本海に沈む夕日が美しく「日本海夕日ライン」と呼ばれています

ドライブ中の立ち寄りスポットは、「柏崎刈羽原子力発電所広報センター」・道の駅「出雲崎越後天領の里」・「良寛記念館」・「寺泊水族館」・「寺泊魚の市場通り」・「SOWA美術館」・「日本海夕陽ブルワリー」「弥彦山スカイライン」・「弥彦神社」・「越後七浦シーサイドライン」・「間瀬サーキット」・「佐潟」とたくさん有りますので興味の有無と所要時間を考えて行って下さい。

天気が良かったら是非「弥彦山」にスカイラインかロープウェイで登ってください。

北に広ーい日本海佐渡島、南に広大な越後平野(新潟平野とも言う)を観ることができ、いつまで観ていても飽きません!夏の景色もいいですが、秋の黄金色の平野は最高です!

来週はどこに行こうか迷っています。

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2005年8月 2日 (火)

魚沼線の想いで

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魚沼線は昭和59年3月に廃止となった国鉄ローカル線です。

運転区間は「西小千谷~小粟田~高梨~片貝~来迎寺」(読みづらいため読み方です・・・にしおぢや・こわだ・たかなし・かたかい・らいこうじ)で、全長12.6Kmと短く30分位で終点になります。来迎寺(珍しい0番線)で信越線に接続しており、柏崎方面や長岡方面への通勤・通学などに利用されていました。私の兄も長岡へ通学しておりました。

ちなみに私は逆方向の小千谷へ通学のため「高梨駅」を利用していました。(バスも有りましたが汽車を選びました)駅と言っても無人駅で風雨(雪も)避けの小さな駅舎があるだけでした。単線で一日4往復(土曜日は5往復)しかなく、乗り遅れたら大変だった為に汽車(ディーゼルの1か2両編成)が丘陵の方に見えると田圃道を駅まで走ったりしました。冬の吹雪の時は悲惨でした・・・!

(笑い話)当時、一見して都会から来た人が途中駅で降りようとしましたが、「ドアが開かない」と騒ぎだしました。おじさん!半自動だから自分でひっぱって開けるんだよ!と教えてあげてから友達と笑ってしまいました。(失礼しました!) 都会では自動ドアなんでしょうが、この辺では防寒のため数センチしか開かないで、乗降する人が自分で開ける方式でした。

越路や片貝から乗ってくる友達と一緒に(道草をしながら?)西小千谷から信濃川を渡り(もちろん・・・橋です「旭橋」です)東小千谷の高校へ通いました。懐かしいー!

西小千谷の駅の傍には、当時は女子高だった「小千谷西高等学校」が有りまして・・・懐かしいナー! ちなみに、姉の母校です。

このブログを始めてから、なぜか昔のことをいろいろと想いだしたりします。そんな歳じゃないんですが・・・!?

そうそう!今日は(明日も)長岡の花火大会ですね!観たかったなー、三尺玉とスターマインのフェニックス!

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